コンビニのノルマ問題が姦しい。
ノルマが達成できないため、ノイローゼになったり自腹でツジツマをあわせたり、とにかく加重労働を強いる悪習だというので、役所が調査に乗り出したという報道である。
そもそも「ノルマ」などという言葉を使いだしたのは何時の頃からか。かって労働にたいして「目標」と「成果」という言い方はあったが、ノルマなどという言い方はなかった。舶来のノルマなどという考え方は、どこかの経済研究所か、代理店が言い出したに違いない。ヴァブルが弾け、経済が不安定になったとき、目標では甘いというので、より義務感と強制力を感じる「ノルマ」という言い方が普及したのだろう。
経済第一主義の弊害が見てとれる。アメリカ製のマネージメントなどという言葉から、ごく自然にノルマの深みにはまったのだろう。
コンビニでは、「正月のおせち」から始まって、弐月は「恵方巻」に「バレンタイン・チョコ」参月の「ひな祭り」「ホワイト・デー」、「土用の丑の日の鰻」を経て、「クリスマス・ケーキ」までつぎつぎとイベント・セールスが仕掛けられている。デパートに於ける特売デーや物産展、盆暮の贈答品競争もまつたく仝じようなものだ。
すべてに売上げ目標は設定されているし、担当者にとっては努力目標を超えてノルマに感じるのだ。何故なら、それがボーナスや出世に影響し、ひいては家庭問題にまで影響を及ぼす。資本主義のもとでの競争社会では、ある面必然のことでもある。
電通新入社員の自殺をめぐって、ブラック狩りが横行している。何があったのかは知らないが、マスコミやメディアの仕事についてまわるのは能力と時間の関係だ。能力が低ければ時間は際限なく必要となる。時間が多いからブラックというのは、短絡すぎる。
東大をでたから優秀だとはいえない。東大をでても役立たずのスタッフを限りなく見てきた。知識があっても才能がない。適応能力のない優等生というのは以外に多いのだ。そうした人たちは、メデイアの仕事などにつかず官僚とか研究所に向いている。自分の能力に対する判断力がとぼしいので、メディアを選択したりするのだ。メディアの熾烈な競争を生き抜くのは、それなりの才能を要する。
ブラックと責める前に、その企業の置かれているフィールドについて熟慮しなければならない。ソ連という社会主義国家が破たんをきたしたのは、労働者の勤労意欲の低下だといわれている。
ブラックではなかった共産社会の住み心地が、怠惰を万延させ資本社会に負けたのである。
ノルマか、目標か。
コメント
1件のフィードバック
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「ノルマ」はロシア語だと情報を得たことがあります。
シベリア抑留から帰ってきた人達が伝えた言葉だと書いてありました。
ノルマをこなせた経験がない自分です…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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