うむ、この何とも言えない食べごたえ? 今まで知ったつもりの「ますのすし」とは全然違った。
肉厚なますの脂の乗りきった微妙なあまさ、これこそが「ますのすし」の醍醐味ではないか。いままで折に触れての「ますのすし」は何だったんだろう。貧弱なうすいますの赤身が、かためた飯のうえに張り付いていた。あのますの貧弱感が嫌いで「ますのすし」は僕の中ではベストバイの弁当ではなかった。
が今回の富山紀行で、すっかり「ますのすし」にはまった。
中川一政画伯のダイナミックなますの顔の赤地に浮かんだ「特選ますのすし」である。一回目の入荷は売り切れてしまいましたので、次の入荷は……いつもなら10時半頃には来るんですが、今日は吹雪いているので何時なるかわかりません。それでも頑張って待っていると、11時過ぎになって雪をかぶった赤ら顔のおじさんが、いやぁ、ごめんごめんといって運んできた。売切れ御免になると悲しいので、いささか図々しく割り込んで「特選ますのすし」を入手した。
名物にうまいものあり「ますのすし」、このみやげ寿しは久しぶりに好評だった。大正元年富山への鉄道開通とともに駅前に旅館と調理場を作ったという源の作品だが、越中神通川ますとりの図が描かれた白い箱の鱒ずしには、どこか貧弱な駅弁の匂いがあっていまいち土産ベストテンにはならなかった。
が孟宗竹に包まれた特選ますのすしを食して、初めて名物鮎のすしにとって代った理由が理解できた。奴のますが旗本のますにかわっていた。
富山再訪の機会があれば、こんどは伝承館ますのすしを試してみたい。
名物にうまいものあり「特選ますのすし」
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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