「カメラのきたむら」閉店・終わりの始まり

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 六本木に居たころは、フィルムの御用はいつも新宿西口ヨドバシ・カメラだった。
 ポジで撮影するコダックのフィルムは他には置いてなかった。フィルム用の携帯冷蔵庫を持参して、20本、40本とフィルムを買ってきて撮影に出掛けた。
 のちに軽井沢に移ってから信州のお祭りを500程も撮ったが、その度ごとに現像は東京のドイ・テクニカルに送っていた。長野の現像所がいまいち信用できなかったからだ。
 それが何時の頃からかデジタル・カメラの普及とともに、フィルムにとってかわったのがメモリーカードだった。専門家はフィルムに比べ、メモリーカードの映像の浅さとか種々論じるが、実際に使ってみるとさほどのことはない。つまりフィルムの現像というプロセスが消滅してしまった。駅前の写真屋さんも何処かへいってしまった。
 遠い地の撮影でも道中巡り合った「カメラのきたむら」で間に合った。忘れたフィルターやSDカードの補充は「カメラのきたむら」で随分世話になった。不要になったカメラやレンズの処分も、たいてい「カメラのきたむら」にまかせた。地方に於ける趣味のカメラのベースキャンプが、「カメラのきたむら」だった。
 近年スマホの普及と共に、「カメラのきたむら」もいらなくなった。スマホ写真の無料プリント機を置いたり、七五三写真や成人式の晴れの写真コーナーなど設置してなんとか経営立て直しに奮闘してきたが、ついに赤旗をかかげた。全国450店舗一斉に閉店となったのだ。
 デジタル時代への対応を誤ったといわれているが、町の写真屋さんが消え、「カメラのきたむら」が消えては写真の置かれている位置も根本的に変わっていくだろう。
 素人の楽しみとしての日常的なスマホ写真と、ほんの一握りの作家たちのための現像所、そしてあとは大規模家電量販店の片隅に生き残った写真コーナー、いつか6月1日写真の日だけが生き残って、写真は供養される対象になってしまうのだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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