談志という伝説が終わって、ようやく今空前の落語ブームがきたといわれている。
小三治、志の輔、兼好、喬太郎、一之輔、白鳥、小遊三、白酒、昇太、談春、権太楼、雲助、さん喬、談笑、市馬、三三、彦いち、などなど…
1980年代末、バブル崩壊とともにやってきた関西お笑い界、吉本、松竹を中心にしたナンセンスな笑いに
負けていた江戸方の笑いは、ここへきて力をつけてきた。
ひろ木、三朝、小八、ときん、馬るこ、こみち、三木男、志ん八、桃之助、和光、志の春、わさび、小痴楽、正太郎、鯉八、ぴつかり、昇々、小辰、宮治、吉笑、などなど…
テレビに於いてNHKの早朝にしかなかった落語が、民放において笑点というただひとつの牙城にたてこもり、大喜利という遊びから、ようやく息をふきかえした。関西系のドタバタしたものにしか笑わなかった人々が、ようやく言葉を武器にした少しばかり知力のある笑いに関心を抱くようになった。永らく死んでいたイキが人々の暮らしにもどつてきた。日本語の言葉遊びを楽しむゆとりが人々の心に芽生え始めたのだろう。
東京では、昔からの寄席に加え、町なかに寄芸を楽しむ空間も増えた。
神保町の「らくごカフェ」、丸山の「渋谷らくご」、神楽坂の「あかぎ寄席」、神田「連雀亭」、雑司ヶ谷「cafe囀や」、庚申塚「スタジオフォー」、「茶や あさくさ文七」、高円寺「HACO」、西新宿「ミュージックテイト」、全国県庁所在地にあるらくご茶屋や、市民会館などのホール落語、一握りのスターにしか当たらなかったスポットが、二つ目、前座にまであたるようになった。言葉の笑いについてどこまで時代と寄り添っていけるか、それこそが次代を担う人々の肩にかかっている。
平成落語に空前のブーム
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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