年寄になりたい白鵬

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 国籍問題が姦しい。
 内閣総理大臣になる可能性のある野党第一党の党首が、日本人なのか、台湾人なのか、よくワカラナイのはとても困る。国民の生命、財産を守る仕事とする総理大臣の国籍があいまいなままでは大変に困るのだ。
 ぬるま湯で育った近頃の日本人は、グローバルな教育のおかげで、そんなのどっちでもいいじゃんと、寛大なのだが、ひとたび紛争が起きれば、生きるも、死ぬも、国籍次第という場合もある。
 もう一つの国籍問題は横綱白鵬だ。
 優勝回数37回大相撲史上最強と言われながらも、横綱白鵬の帰化問題がすっきりしない。引退後も年寄になって部屋をもちたい。通算勝ち星で、歴代一位になれば当然協会は、モンゴル国籍のまま、一代年寄をみとめてほしい、というのだが協会は「年寄名跡の襲名は、日本国籍を有する者に限る」と規則を盾にいい返事をしない。
 白鵬自身も9年4月の会見では「日本国籍を取得して親方になりたい」といっていたのだが、いつの間にか前言をひるがえした。故郷モンゴルの父親がモンゴル国籍をすてることに絶対反対だとか。日本人の嫁も認めず紗代子夫人との結婚の折も、白鵬は父親に紹介しなかった。
 そうした前後の事情をわきまえれば、当然のごとく帰化して部屋持ちの親方へと転じたらいいのだが、まわりに焚き付ける困った人間がいるようだ。
 相撲をサッカーやバスケットと同じスポーツと考えている。国から莫大な助成を貰い、神事としての側面を持つ、大相撲の認識にとぼしいのだ。勝ちさえすればなんでもいいという娯楽スポーツとごちゃまぜにしている。リング上の格闘技とは全く違うのが大相撲なのだ。
 協会は入門するときだけではなく、関取に昇進するときにもういちど「相撲の祭祀性、もしくは相撲民俗学」を徹底的に教育すべきだろう。困ったときの外人頼みでは、何時までもこうした問題が続くだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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