例年のごとく成人の日がきた。
町や村の役場はなにも考えることなく、例年の通りに成人式を開いている。型通りの町長の祝辞、来賓の祝辞と、成人の祝いの言葉をきいて、新成人はどれだけ心に残ったのだろうか。
女性は云い合わせたように、派手な振袖に大きなアクセサリーを頭にのせた白襟巻の、美容院メニューそのもの。男性は茶髪にきもの、袴といったこれまた個性のない貸衣裳ルック、言うことは一人前でも、センスがまったくない自分で考える力がない。男女とも業者に踊らされたはなたれ小僧が多い。
「きょうの主役は俺だ」赤いキモノを着て「目立ちたいから暴れた」と言い放ったつくば市の新成人にはあきれた。身体だけがオトナで、知恵オクレのどうしようもない新成人なのだ。成人式を妨害し中止に追い込んで本人は満足なのだろうが、付き合わされた良識ある新成人や、列席した大臣はたまらない。現行犯で逮捕された新成人をみて、つくづく教育の大切さを感じた。赤いキモノも、異常行動も、目立ってなんぼのユーチュウバー、情報化社会というのはこんな鬼っ子も生み出す。
なかには心うたれる成人式もあった。
東北大震災にあった宮古市の新成人は、あの惨禍を体験して、みんなの生命と身体を守り、財産も守れる消防士をめざすと誓っていた。 札幌の大通りでは、雪まつりの雪像づくりに動員された自衛隊二人の新成人が、上半身ハダカになって、同僚たちに雪中に投げ込まれていた。 寒中水泳もあったし、アベノハルカスでは60階まで1637段の階段登りに汗していた新成人達もいた。
目立ちたいためにツイッターに投稿したがる新成人より、「当り前のことを当たり前にできる大人になりたい」といった新成人の言葉が心に残る。
新成人、ピンからキリまで
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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