ポツキーは世界市場を手にいれられるか

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ポツキーは世界市場を手にいれられるか
 正月には菓子はいらない、蜜柑さえあればというわけで、暮のスーパーは箱売り蜜柑が山積みになつている。
かたや温州みかん、かたや有田みかん、蜜柑嫌いにはどちらでもいいが、近頃の若者は蜜柑はお里帰りのおりに食べるもの、こたつを囲んで、親孝行で食べるものらしい。
 都会にもどれば、コルドン・ブルーやら、アトリエ・マルタンで学んできたフランス風ケーキに触手を動かす。コルドン・ブルーなどは日本人のニワカ・パティシエ希望のお蔭で、瀟洒なビルに生まれ変わった。なにしろ一時間コースから、半日コース、一日コース、昼間は観光で、夜19時30分から60分といった即席講習まで揃っている。ディプロマ(終了証)だけは立派なのをくれるので、日本へ帰ってからの「フランスで勉強してきたお洒落な洋菓子店」のアクセサリーとして立派に通用する。
 さて誕生50年、世界でいちばんうれている日本のお菓子のはなしである。
 ポッキーは世界30カ国で年間約5億箱、3.8億ドルを売り上げている巨大なヒット商品なのだそうだ。
それでも世界には上の上があつて、1年1商品総売り上げ10億ドルというお菓子が12種類もある。キットカット、ハーシーズ、スニッカーズ、オレオ等、日本のお菓子は全く前線に加わることはなかつた。がここへ来てグリコのポッキーに可能性がでてきた。
 従来国内市場と海外30カ国という名目マーケットで満足していた江崎グリコが、俄然本気をだしてきた。2センチの奇跡といわれる僅か2センチの軸の持ち手に成功のマジツクがかくされていた。チョコの塗られていない僅か2センチの持ち手があって手を汚さない、おしゃべりしながら、歩きながら、本をよみながら気楽にたべられるポッキーなのだ。
 手を汚さないための持ち手から、話ながらたべるというスタイルが生まれ、仲間とシェアする共感が作りだされた。オリンピックに向け、インバウンドの増加にむけ、クールジャパンのエースとして、ポッキーが世界市場にのりだした。


コメント

1件のフィードバック

  1. 昔、ポッキーが嫌いで食べられない人を探したことがありました(笑)
    1人見つけたような記憶があります
    自分は大好きです♪

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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