今年は映画復活の年だったといわれている。
かって隆盛を誇った映画界は、ヴィデオ発売とともに映画観賞の舞台を茶の間に奪われてしまった。映画は映画館を棄て茶の間を選択したのだ。
メディアだったTVは、映画製作のうま味に気がつき、資本参加して儲けの一部に手をだした。テレビ画面を通じて宣伝をかけ、テレビのパワーを見せつけて、映画製作の主導権をとるようになった。
映画のクレジットをみれば、どれもこれもテレビ局が製作に名を連ねるようになった。その上大走査線や、相棒のごとく、TVの映画版劇場版として製作されるようになった。
がここで問題なのは、そうしたテレビの人気の延長線上に乗った構造では、映画のファンが育たないという現実であった。マンガの歌舞伎化がその場限りの人気で、息の長い歌舞伎ファンを育てないのと一緒である。
製作意欲を失った映画会社に変わって登場したのが、製作委員会方式といわれる製作、宣伝、金融、配給をひとつにまとめた方式だつた。がこの製作委員会方式も結局その場限りの映画製作で、本来積み上げられていく映画文化が、その時々に消費される映画となり、製作のマネージメントだけが残るという皮肉な結果となってしまつた。
さて今年の映画界だが、「君の名は」「シン・ゴジラ」の大ヒットについで「名探偵コナン」「妖怪ウォッチ」「信長協奏曲」と東宝ひとり勝ち、さすがのディズニーも「スターウォーズ」「ズートピア」「ファインディング・ドリー」とベストテンには三作品しかはいらなかった。ブロードウェイから世界中の映画館をディズニー一色にしよぅとした企みは、辛くも東宝によつて遮られたが、東宝は製作委員会方式をとらず、藤本真澄以来の優れたプロデューサー・システムによって映画の孤塁をまもった。
カンヌ映画祭のジャパン・デーの如く、ロボツトがお迎えして、クマモンがはしゃぐ、そんなオバカな日本映画界には、二度と戻ってほしくない。
日本映画の明日に
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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