ヨーロッパとは全く逆である。
アイス・ダンスやペア・スケートに人気が集まらない日本は、やっぱりアイドル好きの幼児文化なのだろう。
そんな風に思って女子フィギャアはあまり真剣に見てこなかった。ハーフハーフと発言し、しばらく競技から離れていた浅田真央のもったいぶった態度も気に入らなかった。ジャンプする前のプレパレーションの長さにも、見せよう見せようという意識が透けて見え、スポーツ選手らしいひたむきさに欠けていた。衣裳の華やかさばかりが眼について、ころぶスケーターというよりころぶ芸能人、ころぶCMタレントに堕していた。
今シーズンの全日本フィギヤア選手権、たまたまテレビの前に座っていた。
中京大学の広告塔選手がつぎつぎと敗退し、東京、関西、神戸勢が前面に登場してきた。長らく固定化していた先輩たちが第一線から引き、だいぶ風通しが良くなった気がする。
が身体を武器にして闘うスポーツとしては、身体が貧弱な選手が多いことは少々残念である。
150センチ、152センチといった身長では、世界ではジュニアのサイズでしかない。つまりざっくりいえば選手は子供にしか見えない。心技体揃って大人の選手を早く育てて欲しい、と思うのは筆者ぱかりではないだろう。
18才、15才、17才が第一位、第二位、第三位を占めた。世代交代があからさまに見えた瞬間だつた。
目に付いたことより耳についたこと、音楽の趣味がついこの間の名古屋勢よりも随分とよくなった。
安定したテクニックを持つ宮原知子は、ラ・ボエームのムゼッタのワルツから、ホルストの惑星にかわっていた。この人は文学部に学んでいるだけあり、曲の解釈力が素晴らしい。かってもリストのため息や、翼をください等を使用していた。
東京育ちの樋口新葉もモリコーネのラ・カリファ、シェーラザード、マーク・シャイマンのmusicalヘア・スプレー、ガーシュインのピアノ・コンチェルトと音楽の趣味がいい。
神戸の三原舞依もサンサーンスのロンド、アダンのジゼル、マンシーニのジャズ・ホットとなかなかの選曲。
カルミナ・ブラーナやドンキ・ホーテの本郷理華は落ちてしまったが。
新生女子フィギユアの明日が楽しみである。
女子フィギユアの音楽が楽しい
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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