京都ぎらいの裏表

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京都ぎらいの裏表
 うんちく好きの人をまま見受ける。若いもんはヒクーとかなんとかいって直接ぶつけるが、女将さんは「お客さん、よう知ってはりまんなぁ、」と返す。「つまらんこと言わんと、黙って食べたら…」それが本音だ。
 「まあ、なに着ても似合わはりますなあ…」本音は「そんな恰好して恥ずかしくないんかい」京女のお世辞に騙されてはいけない。
 厳しい規範をもっているのが、京都洛中の人々だ。洛中といえば京都市中京区のことだ。中京区だけが京都、なにしろ室町幕府の花の御所があったのは洛中の真ん中、だから沢山ある洛中洛外図など眼を通せばわかることだが、東山も嵐山もみな都の外だった。洛中にすむ伯父さんはいまでも「上洛のおりは是非ご一報を」といった
挨拶がある。
 昔、はしだのりひこが伏見だからと言い訳をしていたが、伏見という地名の響きにはどくとくの匂いがある。倖田来未あたりも伏見出身のため、京都人からは、あの子は伏見やさかいに、となんとなく異郷人あつかいされているのだ。何百年か前に朝鮮半島からの渡来人が住み着いた地というのが、今に尾をひいている。
 星のリゾートという近頃全国にはびこっているホテル業がある。アメリカのジャンク・ファンドの金で、運営を請け負っている業者だ。京都の嵐山からさらに奥へ行った船岡温泉のつぶれたヤドの辺りを買い取って星野リゾート京都と看板をだした。
 京都人は、あそこは京都ではありまへん。都からはなれた保津川の奥やさかいに…といった認識なのだ。
 東山を越えたところに、山科区がある。忠臣蔵では浅野内匠頭が隠里というので、山科閑居の場が演じられる。その山科区で「餃子の王将社長殺人事件」が起きた。「まだ犯人が捕まれへんのやろう?怖いわー」と子供たちが山科へいこうとすると、親がとめるというのだ。
 洛中洛外の差別感がそのまま拡大されると、まわりの地方にもとうぜんのごとく優越感を持つ。
 「大阪はごちゃごちやとうるさおす」「神戸はましやが、兵庫はただの田舎や」「滋賀?なんやゲジゲジみたいな字ーどすな」「東京?たまには東下りもよろしおす」
 かくして今年の新書大賞は「京都ぎらい」であった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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