帰国して 日本恋しや まず「ちんや」……
何故ちんやかと、問われれば「ちんや」というは、東京に於けるすき焼き屋の代表であって、創業130年の老舗である。浅草のちんやへ行かず、ホテルの和食処で間に合わせても、江戸っ子はちんやへ行くと粋がった。
いまでこそすき焼きはたいして珍しくもなく、ちょっと小さなハレの日のメニューになったが、昔は貴重なメニューだった。
明治天皇が初めて牛肉を食べるまで、日本国民の牛肉食は禁止されていた。天皇様がたべたというので、初めて牛肉を食べることが許可されたのだ。 どうしてと、不思議に思うかたもいるかと思うが、馬や牛は人間の
労働を手伝ってくれる貴重な動物と考えられ、食べたら罰が当たる、じつに恐れ多いことだった。
飛鳥のころから1000年日本人は、獣肉食はしてこなかった。マクドは絶対にニホンには生まれなかったのだ。どうしても食べたい農民や猟師は内緒で、イノシシや鹿の肉を、お上にばれないよう闇鍋で食べていたと伝えられている。
すき焼きは関西風と関東風に別れる。
筆者は江戸っ子にもかかわらず関西風なすき焼きにひかれる。鍋に具材のすべてを入れて炊く関東風のすき焼きはどうも肌にあわない。あれはすき焼きではなく、牛の寄せ鍋ではないかという気分なのだ。牛肉にたいする扱いがはなはだしく軽い。
その点、丁寧に脂をひき白ネギの香りを移し、一枚一枚の上肉を軽くこすり焼きしながら、醤油、砂糖、酒などで味をととのえながら、溶き卵に移して食べる関西スタイルのほうが、はるかに肉の味も楽しめ、相手となった豆腐や糸こんにゃく、ねぎの風味も堪能できるのだ。すき焼きへの思いがこもっている。
ニューヨークあたりの日本料理やのすき焼きが、総じて手をぬいた関東風なのは残念だ。
上を向いて歩こうが、SUKIYAKIのテーマソングと納得されている、その程度のオモテナシと考えればあきらめもつく。
すき焼きの季節がきた
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プロフィール

星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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