降格5人 出勤停止30人 譴責処分50人
パナソニックともあろうものが、この大量処分はなんだ。
創業者松下幸之助の伝説は、もはや今働いている従業員にとっては絵空事でしかないだろうと思われるが、それにしても100人に近い従業員が、接待ずけになっていたというのは、モラルの低下としかいいようがない。
テレビ部門の部品調達の立場にあった社員が、2000回以上の接待を受けていたという。
中国の下請けメーカー相手に、ではお食事でもとか、商談成立の暁に明日はゴルフでも如何ですかと、誘われていたに違いない。なかには美しい美女を侍らせ、ハニートラップにかかった部長さんがいたかもしれない。
これは異国の習慣だからと、割り切って饗応をうけた人もいるだろう。
何十年か前、筆者もショーの演出でかの地に招かれた際、現代の楊貴妃かと見違えんばかりの美しい女性から
接待をうけた覚えがある。日本に帰らずに、この地にとどまって演出の指導をして欲しいと、触れなば落ちん風情で口説かれたのだ。さいわいにも筆者は難を逃れたが、帰国後しばらくは彼女らの幻影に悩まされた。
紅楼夢や金瓶梅の好色古典文学から受けた啓示、繊細でプライドの高い少女・林黛王、美しく生意気な足の小さい潘金蓮など、好色な中国古典文学に登場するたおやかな女性が、眼のまえに次々と現れる高楼のまどろみは、なにも知らない島国のわかものにとって、天にも登る現実であったろう。
共産中国の大陸に脈々と生きている民族の色香は、体制とはかかわりなく生き続けているのだ。
パナソニックの紅楼夢
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プロフィール

星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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