芸能スキャンダルの読み方

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芸能スキャンダルの読み方
 今年は芸能ゴシップの当り年だった。
 のこりの年月にまだまだ呆れたゴシップが飛び込んでくることだろう。
 それにしてもSMAP解散騒動、有吉・夏目妊娠騒動、高畑淳子・裕太強姦事件、高知東生麻薬事件と一通りのゴシップが、勢ぞろいしたのは見事だつた。
 無邪気なファンは一喜一憂し、少し深読みのマニュアには、タレントとその所属する芸能プロと新聞・雑誌・テレビなどメディアとの関係があからさまに判り、しらけたり軽蔑したりで、さぞ面白かったことだろう。
 SMAP分裂劇では、マネージヤーの退社を巡って、木村と中居等との確執がはっきりと表面化し、さらにメリー喜多川という女帝の存在があぶり出された。ジャニー、メリーの姉弟に振り回されている巨大メディアの実態も明らかになり、製作者たちの情けない姿勢もはつきりと提示されて、テレビ離れの原因に屋上オクを重ねた。
 夏目三久妊娠報道では、田辺昭二という元スパイダースの社長が、メディアに対し隠然たるネットワークを広げ、裏をとった新聞社の報道を誤報化してしまう手口を見せつけた。
 高畑裕太強姦事件では、芸能界に多い二世タレントの代表選手として、甘ったれで我儘な二世世代が浮き彫りとなり、なんでも金で解決する親の姿勢がバレバレな示談金事件だった。
 出所時の裕太の大音声のオワビと、両足を開いたままでのポーズには、役者としての面影は皆無だった。あれでは脚本を前にしてもまつたく役どころを理解できないだろうと、納得した。自分の置かれている状況とオワビという行為に対する表現がまったくなく、この人は大根役者なのだと確信した。親の高畑淳子も演技力はあまりないが、折角の勲章付き七光りを一瞬にして無にしたバカ息子だつたということが、天下に公示されたのだつた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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