平松洋子さんのエッセイに、「下着の捨てどき」というのがあった。
女性の下着は消耗品と嗜好品の二面もっているので、なかなかにややこしい、といった風なことが書かれていた。
男性にとっても、若いときは嗜好品としての要素が強い。メーカーの宣伝に乗せられ、男のビキニは活力だ、全く効果のないコピーに踊らされ中途半端な履き心地を我慢する。
それにしても女性の下着はなんと華やかなことか。あの華やかな世界が、スラックスやスカートのなかに
展開しているのでは、ときに露出症ぎみの女性が現れても当然と納得する。
その頃、男たちは、ブリーフ派かトランクス派か、あたりに停滞し、実用性でしか下着は論じられなかった。
とある夏、ラスベガスで友人の娘さんに、買い物に行くから付き合って、と言われシーザース・パレスの下着屋に連れていかれた。男性下着の専門店だった。私、コイビトがいるの。いまオランタ゛に帰っているので、下着を贈りたいの、選んでと言われうろたえた。それまで主体的に下着をえらんだことは全くと言っていいほど経験がなかった。
恐る恐る少し色の入ったトランクスを選んだ。オウム返しに彼女から拒否された。つまんない。そんなの気分が乗らない。まったく視点が違った。彼女の気分が盛り上がらなければ、下着の意味がないというのだ。
布地の圧倒的に少ないカラフルなヒモパンに彼女の目線は飛んだ。どう思うこれ、といわれあいまいに賛成するしかなかった。 以来今日まで、女性と下着を買いに行ったことはない。彼女はあの頃たしか16歳だったような気がする。
さて「下着の捨てどき」だが、布地に穴があくとか、縫い目がほつれて困った状態は、遠い昔語りになってしまった。着用する気になれば何年でも使用できる。色が少し褪せたり、ゴムが少し緩くなったりのあたりで、決断しないといつまでも別れられない古女房のごとくに停滞してしまう。
手拭の捨てどき、ティシャツの捨てどき、靴下の捨てどき、これらは皆、下着の捨てどきに似た「人生の捨てどき」にかぶっている。
下着と靴下の捨てどき
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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