ポケモンGO を考える

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ポケモンGO を考える
 マリオに扮したアベさんに、よかつたよかったと賛辞が寄せられている。
 なんとか大臣はポケモンGOをしていると、誇らしげに語り、マスコミも非難しない。
 神宮の森でも、渋谷センター街でも、周りを忘れ路も忘れて、みんな下をみてポケモンGOにはまっている。
いま、この国は巨大な遊園地と化してしまったのではないか。本をよんだり、人と話したり、図書館で勉強する時間のすべてを、任天堂の商売に捧げ、これこそ日本のソフトパワーだと、臆面もなく発言する。
 ポケモンGOという最強の麻薬が、今じわじわと国土を侵食し、民族を白痴化しつつある。考えることを止め、すべてをパソコンやスマホにゆだねた辺りから、我々の堕情が始まっているような気がする。
 ポケモンに人々が消費する時間の総量を考えたら恐ろしいほどのエネルギーの無駄である。一億総活躍時代というのは、マンガ・ゲーム社会到来のことだったかと、唖然とする。
 教科書以外、親は何も買ってくれなかったが、誕生日のとき初めて買ってくれたのが、イソップ物語や日本神話だった。マンガとの出会いは、少し通信簿のよかった小学三年生の頃だったような気がする。田河水泡のノラクロ上等兵だつた。黒い野良犬のノラクロが、兵隊になってドジやヘマを繰り返しながら少しずつ出世し、最後はノラクロ大尉までいった。落第生ものがたりと軍隊ものがたりのデェフォルメという軍国主義化の日本で、巧みな仕掛けが隠されていた。
 その先には漫画はなく、活字を学んで脳みそを訓練せよ、とギリシャ神話や実存哲学にとんだ。民主主義がジープとともに上陸してきた時、マルクスの唯物論を探して神田の古本街を彷徨ったこともあった。
 近所の空地で花をつんだり、野球をしたり、雑草に寝ころんで流れ星の不思議を語り合ったり、スマホもゲームもなかった昔が懐かしい。


コメント

1件のフィードバック

  1. いまだにポケモンGOをプレイしているらしい人の姿を確認しておりません
    ポケモンGOで引きこもりの人が外に出かけたとかで
    人が怖い私は
    人混みが怖くて余計に外に出るのが怖くなってしまいました
    肉眼でポケモンGOの画面も見たことがありません
    自分はガラケーなものですから…
    ポケモン自体も「ピカチュウ」が辛うじて判別できるだけです
    話の内容は全く認識しておりません。

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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