SMAP騒動が続いている。
キムタクの変節に結局あとの四人、中居正広、稲垣吾郎、草彅剛、、香取慎吾が堪忍袋の緒を切ったということだろう。強大なジャニーズ事務所の権威も通用しなかった。ジャニー喜多川、メリー喜多川、藤島ジュリー景子、の血で固められたジャニーズ・システムも機能せず、解散に至った。
多くの週刊誌はその原因として、元マネージャーの飯島三智に集約しているが、果たしてそうだろうか。確かに飯島マネージャーは、SMAPの5人と共に独立を画策していた。が業界に於けるジャニーズの権謀術策を知り尽くしている彼女は、独立後もジャニーズの裏権力に潰されないための手を打っていた。
田辺昭知との度重なる会談がそれである。いったんは田辺エージェンシーの傘に入って、ジャニーズ事務所の逆風をやり過ごし、時期を図って完全独立を果たすという計画だった。それをひっくり返したのが、キムタクだったという訳だ。キムタクには十数年前人気の出だした頃、独立をはかり失敗したという過去がある。それにこりたキムタクは工藤静香とともに近藤真彦、東山紀之につづくジャニーズ役員への道を選択したのが、今回のSMAP解散にいたる騒動だったともいえよう。
がさらに真相深入りすれば、日本の芸能界のかかえたマネージメントのノウハウにぶつかる。この国の芸能マネージメントは、売り込み、契約、から日常スキャンダルの管理に至るあらゆることに首をつっこんでいる。
十代の初めからそうしたスタッフに支えられて芸能生活を送れば、当然のごとく本人は思考停止状態になり、気がつけば芸能バカ、40代、50代の親父になっている。
自己管理するコントロール能力を失っているのだ。当然のごとくシモの世話までしてくれたマネージャーとは一心同体となり、マネージャーが事務所をやめるとなれば、付いて行きたくなるのは当たり前なのだ。
いつまでたっても、タレントの独立騒動がなくならないのは、そうしたマネージメントの必然的産物でもある。
欧米の芸能界のように芸能プロダクションは、ブッキング・オフィスとして契約代行のみを行い、あとは本人次第お好きなようにというシステムにすれば、いい大人の同性愛のような騒ぎはなくなると思うが如何。
この国の芸能界に巣くったヤクザな拘束制度は、大人たちの未熟な制度設計にあるのだ。
SMAPいじめの深層
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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