「健康を取り戻すまで、飛行機に乗せてはいけません。」
人間の話ではない。愛犬のはなしである。
という訳でMIKAちゃんは、もう一年以上東京に戻ってこない。
生まれ育った札幌に別宅があるために、三匹のペットとMIKAちゃんは札幌にいる。
愛するご主人が週一ぐらいのペースで、札幌まで通ってくるらしい。
ご主人の仕事の本拠地は青山だから、東京から離れるのは、 お仕事で日本中を飛び回るときと、
札幌にみまかるとき。
光源氏のようなシアワセな男性である。
さて彼女の札幌に於ける生活のスケジュールは知る由もないが、筆者がたまたま北海道に撮影でいくと
ガイドを務めてくれる。 大変にありがたい存在なのだ。それに内装は白く、ボディ・カラーはディープ
グリーンのメルセデス・ベンツ がついてくる。
富良野、美瑛では美瑛ハイヤーに世話になったが、札幌ではプライベート・ベンツである。
シアワセな気分で撮影行ができる。
札幌に於けるもう一人の友人は北海道大学の鈴木幸人准教授だ。
初めての出会いは、嵐山吉兆の広間だった。
初釜の席で鈴木先生は見事に歌舞伎18番の名場面を演じられた。
当時は大阪美術館で仕事をしていられ、初のフェルメール日本展の開催に奔走されていた。
関西のエネルギーに江戸っ子が混じったような、なかなか粋な面白い先生だった。
札幌では、その鈴木先生と再会し、ゼミに集まっている生徒さんと団欒するのが楽しみだ。
去る年に大いに座を沸かしてくれた青森県代表の少女は、大阪大学へいっているということだった。
今年は上田生まれ佐久のガンコウから北大にきた学生さんを帯同してくださった。
なかなかのイケメンで長野の田舎出身とも思えず、同席したMIKAちゃんが興味をしめしていた。
一遍上人が佐久の跡部で啓示を受け、初めて欣喜雀躍した念仏おどり、歌舞伎起源のことなど、
多弁を弄したが、はたして彼の記憶に入り込めたかどうか、はなはだ疑問である。
MIKAちゃんは、秋の銀座展を手伝ってくれるといっているが、まず愛犬の健康第一、
どうなることやら、と心配し期待している。
札幌のふたりの友人
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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