黒猫からムーラン、そしてスタバへ

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黒猫からムーラン、そしてスタバへ
 黒猫というと、気持ち悪いとか、怪談ばなしのほうに偏って、なかなか歴史遺産のほうに話題がいかない。
 Le Chat Noir 「黒猫」はパリのカフェ・コンセールの歴史でもつとも重要な原点になつている。1897年モンマルトルの麓ロシュシュアール通り84番地に、黒猫が誕生したことにより、パリのカフェ・コンセールの歴史が始まった。
 黒猫にはピカソを初め、サティもユトリロもロートレックも、芸術家たちは夜な夜な集まって文学を論じ、芸術論を交した。町の人々は、黒猫はアンコエラン支離滅裂な人々のたまり場とよんで遠巻きにしていたという。
 カフェ文化と呼ばれ芸術の都のいったんをになった黒猫の存在がいかに重要であったかは、パリの歴史を展示するカルナバレ博物館へ行くと、いちばん目立つところに、当時の黒猫の看板が展示されていることからも良くわかる。土産やでは黒猫のマグネットやエプロンが売られているし、黒猫のポスターは、いまだに宣伝美術の規範になっている。
 黒猫に誘われて、19世紀末から20世紀初頭にかけて、モンマルトルのカフェ全盛期があった。ムーラン・ルージュやリドなどトップレスの踊り子が競う高級キャバレーがつぎつぎと生まれ、華やかなショーを競った。フレンチ・カンカンが、コンテンポラリーな踊りとして市民権をえ、カンカンのの踊り子のガーター・ベルトは、遊び人たちのアリセサリーになった。
 カフェ・コンセールは舞台を広げ、いつしかモンパルナスへ移り、ドーム、ロトンド、セレクト、クーポールなどが生まれ、戦後はさらにサンジェルマン・デ・プレが中心となり、ヌーボーロマンやヌーベル・ヴァーグ、実存主義の発信地となった。
 いまではあちこちにスタバもあるが、スタバから芸術が生まれる予感はない。やはりカフェとサロン・ド・テと、毎夜華やかなショーを上演しつづけているキャバレー、カフェ・コンセールは貴重な空間なのだ。
 クリシー通り68番地のBISTROT CHAT NOIRには、…1951年ビアフが「愛の賛歌」を創唱したと、歴史道標が誇らしげに建っている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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