エッフェル塔での会議の席上、女性ディレクターから是非撮影してほしいと、提案されたのが、ノルマンディーのVeules-les-Rosesだつた。多分彼女の青春の思い出の地だろう位に考えていたが、どうやらそうでもないらしい、映画のロケ地として業界ではかなり有名ときき、滞在スケジュールの詰まったなか、ヴェール・レ・ローズ行きを決行した。
やがて洪水のパリに悩まされる初日の雨の日だった。サンラザールの駅に着いた途端、雨中の大理石に足をとられ、右ひざの半月板をやられた。びっこ引き引きの撮影行だつた。
TGVでYvetotまで、そこからバスに飛び乗ったが、目指すヴェール・レ・ローズ行はなく、Saint-Valery-En-Cauxで降りろと運転手はいう。どうやら大分僻地のようだ。
タクシーを探したが見当たらない。停留所の伯母さんが呼んでくれるというので、ホッとしたがやって来たのは普通の乗用車、降りてきた熟女はタクシーだという。キツネに摘ままれたような気分で乗り込んだが、いきなりクレソン畑につれていかれた。これがヨーロッパに於けるクレソン発祥の地だという。なるほどクレソンは見渡す限り生えているが、フォトジェニックな光景ではない。次に連れていかれたのは、麻の花が咲く道の向こうに水車が回っていた。水の流れと水車が同じフレームに収まらず、ヴェール・レ・ローズは失敗かと思っていたところ、向こうからきたクルマに乗り換えろという。 エッ、どうやらそのクルマが村に一台のタクシーで、営業中だつたため奥さんがシロタクをしてくれていたと、判明した。
さすが旦那の運ちゃんは、要領よくポイントを周ってくれ、映画「リリーのすべて」のフィナーレに出てきた
何処までも続くドーバー海峡の断崖絶壁やら、巨大な水車、ドイツ軍のつくったトーチカ、ノルマンディ上陸作戦D-Dayの戦跡、そして谷間の集落、港など周ってくれた。
米英の落下傘部隊が降りた牧草地には、巨大な風力発電が地平線まで続いていた。
帰りはジャンヌ・ダルク火刑の地、ルーアンまでそのタクシーの世話になった。モネが30点もの作品を描いたというルーアン大聖堂を見上げ、後ろ髪を引かれ乍らパリへ帰ってきた。
ヴェール・レ・ローズの断崖
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す