愛の南京錠は何処へ

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愛の南京錠は何処へ
 ナポレオン一世がルーブル宮の対岸にいる愛妾のもとに通うため作らせたのが、ポンデザール(芸術橋)
だといわれている。当然、この橋は愛の架け橋としての宿命を当初から負っていたのだ。
 最近では愛の南京錠「カデナダムール」の流行によって、支えきれないほどの南京錠が橋の欄干に取り付けられ話題をよんだ。ところが世界中の恋人たちがこの橋にやってきて二人の名前を書いた南京錠を取り付けたため橋が壊れかかってしまった。
 錠前の重さだけで50トンを超えると言うので、2014年には橋を閉鎖、2015年には肝いりのグラフィック・アートのアクリル板をつけたが、アートの不評から早々にガラス板に変更、今日に至っている。
 ポンデザールから愛の南京錠は消えたけれど、セーヌの岸辺からはすこしも消えないのが、カデナ・ダムールだ。鍵を商っているロマを捉えなければ、鍵やはどこにでも移動して商売をする。
 今のところポン・ヌフの周りがもっとも多いのだが、ポンデザールの見えるところならと、ロマの鍵やが移動するので、セーヌのあちこちに愛の南京錠が付けられるようになった。
 鉄製の輪や鉄のフェンスあるところ、どこでもカデナダムール。その内世界遺産パリのセーヌ川は愛の南京錠がなければ認められない、という状況になってしまうかもしれない。
 ところで今シーズンのポンデザールは、本来の芸術橋の意義にもどって、橋上野外立体展を催していた。アバンギャルドな立体がずらりと展示され、訪れた恋人たちと不思議なハーモニーを創っている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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