サン・マルタン運河の3時間

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サン・マルタン運河の3時間
 セーヌ川以外パリにはもうひとつの水辺があると知られたのは、戦前1938年、名匠マルセル・カルネの映画「北ホテル」によってだった。
 サンマルタン運河が地上に顔をだしたジュマペ通りには今でも映画のままの北ホテルがある。ホテルの営業は
止めているが、カフェ・レストランとして懐かしの映画ファンを集めている。
 シスレーの絵画にも触発され、半世紀パリに通いながらサンマルタンの運河ツアーはパスして、地上からの景観にレンズを向けてきた。
 今回初めて運河ツアーに乗ろうという事になつた。オルセー美術館前からとバスティーユ下のアルスナル港からの二つのコースがあつたが、バスティーユからの船のほうが素朴でフランス人が多いというのでそちらを選択した。
 出港して直ぐにトンネルに入った。巨大な暗渠は電灯は皆無なのに、光の束が天井からそこここにおちている。地上につながる穴からの光が幻想的な世界を作り出している。
 光の柱が消えた頃、前方に丸いひかりが見えてきた。高低差25メートルの9つある水門の第一の景色だ。水門に舟が入ると退路は遮断され、前方の水門から水が注入されて3メートル近く舟は浮かぶ。そうした昔ながらの運河体験を重ねながら、ラ・ヴィレツトまで3時間のツアーを楽しむ。
 1970年代、高速道路を作るため運河の埋め立てが計画されたが、パリ市民の猛烈な反対にあって中止に
追い込まれた。地上にでた運河の岸ではジョギングする人、体操する人、あるいはシリア難民のテント村、そしてパリに欠かせない恋人たちと、超モダンなラ・ヴィレツト公園までの充実の船旅だった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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