四条通りから花見小路にかけて、外人街の様相を呈していた。
アメリカ西海岸からやってきたバックパッカーに交じって、アラブはドバイからきたような黒のショールで頭を覆った石油一族、それらをけちらして行く中国わたりの原色ファミリー、都大路で大きなトランクをひきずっている。人並みをかき分けて歌舞練場についても、芝居小屋ではなくインターナショナル・シアターだった。
144年間つづいている世界最長のトラディショナル・レビュウ「都をどり」は今年も無事に初日を迎えた。
タイトルは「名所巡四季寿」、御所の銀襖に始まる置歌のオープニングは何時見ても華やいだ祇園町の春に誘い込まれる。8つの景の構成は四季をからめて場所とエピソードの組み合わせで展開する決め事だが、時に起承転結やら流れが上手くいくに限らず不都合な年もある。
今年は浄瑠璃の落窪姫に物足りなさがあった。いつもこの景は、歌舞練場の少しばかり古い劇場機構と、優れた美術方が題材に絡んで、ダイナミックな山をつくるのだが、今年は落窪姫のささやかな描写におわってしまった。女性の構成者による欠点が露呈してしまったのではなかろうか。祇園甲部の歌舞練場に結集した才能がもったいない。
川面美術のはんなりとした独特のタッチは健在で、花から花への遠見のうつくしさは満喫した。時に東京のレビューのような大きなつくりもあったが、祇園町のトラディショナルな踊りのバラェティとして、どこまでが表現の限界か考えさせられた。
家元が人間国宝になったこの機会に、日本の名物たるこの「都をどり」のさらなる魅力を楽しみに、来年の桜の春を心待ちにしている。
「都をどり」という日本のレビューについて
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プロフィール

星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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