黙阿弥の台詞に酔った初春狂言

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黙阿弥の台詞に酔った初春狂言
 我が家の初春芝居は国立劇場の菊五郎劇団と決まっている。
今年も実に楽しく面白い芝居をみせてくれた。見物に親切、役者に親切、座元に親切、河竹黙阿弥最盛期の手慣れた芝居だった。
 白浪物と呼ばれる泥棒の話だが、全く暗さのない突き抜けた登場人物によって面白くダイナミックに筋立ては進んでいく。
 小春穏沖津白浪(こはるなぎおきつしらなみ)略して小狐礼三とよばれるが、ご存じ日本駄右衛門、船玉お才、狐遣いの妖術にたけた小狐礼三の三盗賊が綾なす香合泥棒の虚実をこめた物語の数々。
 黙阿弥の七五調の名せりふに酔い、さらに割台詞や、渡り台詞と、日本語に流れる言葉の楽しみ、韻律の楽しみまで十二分に楽しませてくれた。
 「月もおぼろに白魚の篝も霞む春の空」お嬢吉三の台詞でも、悪の華を一瞬にして歓びに変換してしまう言葉の魔術をもった黙阿弥が全編に満ち溢れて観客はマジックにかかったように劇中に引っ張り込まれる。
 すでに奈良時代からあったといわれる七五調の言葉が江戸歌舞伎に華ひらき、やがて日本の流行歌、歌謡にまで引き継がれる言葉の血脈を感じずにはいられない。
 この初春芝居は道具の面でも力がこもっていた。清水観音堂の華やかさ、二幕雪月花の変化、大詰赤坂山王稲荷から鳥居前、高輪ケ原日の出の場、なかでも千本鳥居の大立ち回りは菊之助の奮闘とあいまって、盆を回したり逆行させたりの殺陣の見事な演出を堪能した。
 青年菊之助の真摯な姿勢が伝わり、御贔屓筋も充分に満足された正月芝居だった。、


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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