卒論は離婚届だった

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卒論は離婚届だった
 いま業界で不思議がられているスキャンダルといえば、ベッキーとゲスの極み乙女の川谷の事件だ。
 ベッキーはスキャンダルのない透明タレントといわれてきた。ベッキー自身の身の処し方とスキャンダルに対し業界最強のサン・ミュージック所属ということもあり、ベッキーの噂話はひとつとして週刊誌には登場しなかったのだ。
 2チャンネルの噂では、川谷絵音の妻による嫉妬のすえの売りネタという説もあるが、女性のしわざとしては、文春の選択から写真の内容があまりにも出来過ぎている、といわれる。妻のやきもちで漏れるスキャンダルの限界をこえているというのだ。
 2000年代にはいり、ゴシップは携帯の通話記録からといわれた時代があった。それがスマホになってから、どんなロックもパスワードも破られて情報はダダ漏れということになった。秘密の対話は秘密ではなく、ネット技術者の手にかかれば、たちまちオープンな情報に変換される。写真もまるごと盗まれる。
 探偵会社は、カード記録とETC記録とスマホ解析の三つで、ほぼ完ぺきな浮気調査報告ができるようになった。電信柱の陰に隠れたり、旅行先まで追跡したりという、古典的な探偵ごっこは想い出の昔話になり、、いまではデスクのうえでパソコンにむかえばすべて解決してしまうのだ。
 国家間の秘密情報も、サイバー戦争といわれているごとく国家の中枢に仕掛けたネットのテクニックだけで、帰趨がきまってしまう、というとんでもないことになっている。
 情報化という共通言語が、「卒論」といってきた川谷の妻への離婚届けまで裸にし、さすがのベッキーも急遽記者会見を開いて、謝らざるをえなかった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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