新国立競技場のつまらない設計

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新国立競技場のつまらない設計 国立競技場のつまらない設計
 A案がいい、いやB案がいい。
 学生か代理店のような議論にようやく決着がついたようだ。
 予算オーバーで駄目になった英国在住のザハ・ハディドの案については、よってたかっての反対論争で、選んだ方の責任者安藤忠雄も逃げてしまった。
 機能が優れていて、予算にあえばそれが一番というのは、一見正しいようだが、デザインという面からみれば、もっとも不毛な考え方だ。国民の9割が絶対反対という位のショックがなければ、いいデザインは生まれない。21世紀の世界に発信するこの国の文化財として、歴史観と未来感にみちたものでなければ、まったく無駄なものになってしまう。
 オリンピックはスポーツの祭典であるとともに、文化の祭典でもある。
 コストを抑制するため、設計施工の一括発注を図る、と方針を転換したときに、これでオリンピックの設計競技は終わった、と感じた。
 設計というアーティフィシャルな作業より、ゼネコンの算盤勘定が優先されたのだ。
 国家のシンボルになりうるメイン競技場から、アートな要素が否定されて採算性というマネージメントにかたむいたのは、建築の社会的使命からも、大きく後退したというべきだろう。
 現実にあった二つの案のコンセプトがいずれも「杜の…」であったところからも、建築会社にリードされた現実案であり、ほどほどの利益とスケジュールの妥協の産物であることがわかる。
 A,B案ふたつとも全く面白くない。新鮮な驚きがない。この程度の設計ならアーキテェクトを必要としない。
ゼネコン設計部で充分まにあうのではないか。近年世界中から注目されている日本だが、オリンピックを機にさらなるデザイン国家の発揚にまんまと失敗したのが、今回の新国立競技場設計騒動だった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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