田舎ゼネコンの優れた文化度

by

in

bungeiza01.gif
 長野に北野建設という会社がある。東京の竹中とか、鹿島とかの少し小さめのゼネコンといったところか。
 ところがこの北野ゼネコンは鄙には稀な文化性をもっている。 
 戦後いちばんにホテル・キタノ・ニューヨークを創った。日本語の通じるニューヨークのホテルとして世話になった経済人も多かったことだろう。学校もつくった。上田に女子短大をつくり、講堂にはこの地方唯一のパイプオルガンを設置、美術館も二つ創った。北野美術館、北野カルチャーセンターである。メディア時代をにらんで長野放送なるテレビ事業にのりだし、ついで長野市部の目抜き通りに北野文芸坐という中劇場を建設した。この劇場は正面左右に幟旗をたて、外観はかっての芝居小屋をイメージし、客席上下の壁面は黒漆に金箔ちらしというなかなか豪華なつくりの劇場である。
 この北野建設が設立70年を迎えた。
 記念行事に選んだのは、尾上菊五郎、菊之助親子による舞踊公演。ゲストに祇園甲部の芸妓一同だった。
 開幕は新作「寿北野三番」祝いと祓いのための三番叟を、菊五郎、菊之助が演じた。続いて「京の四季」を甲部きっての美形まめ鶴が舞い、「ゆき」を菊之助が舞った。
 そして最後は祇園連中による「俄獅子」、現存する最古の獅子狂言を踊り屋台に移した珍しい祝いの出し物、長野に伝わる祇園祭も踊り屋台形式なので、この上演は土地のひとにとっても貴重な出しものだったに違いない。
 田舎のゼネコンとして、見識のある祝賀行事をしたのは北野建設の文化度だった。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ