金澤に三つの花街がある。格式を重んじる「ひがし」、川端の情緒あふれる「主計町(かずえまち)」、活気あふれる「にし」、それぞれに武家、工人、町衆達のあそび場として栄えてきた。
いまでは廓の機能もすっかり変わったが、レトロな空気を味わえるトリップ空間として、外国人や観光客に喜ばれている。
そのにしの茶屋街に「いしかわの至宝」と呼ばれる芸能がある。
「一調一管」一本の笛とひとつの鼓による真剣勝負の即興演奏である。
「美音」の女将峯子さんが笛を、道一つ挟んだ向かいの「明月」の女将乃莉さんが鼓を、ふたりの競演、ハーモニーを作って仲良く演奏するのではなく、まさに競い合い戦う熾烈な一対一の演奏が、花街合同の金澤おどりの目玉となり、人気を呼んで、石川県の無形文化財にもなった。
北陸金澤の人々が、この花街に発したふたりの演奏を芸術として受け入れ育てたのだ。
このお二人の「一調一管」には忘れられない思いがある。
当時、筆者は西陣の旦那衆の依頼により、キモノ・ショウの制作・演出をしていた。モデルとキモノのデモンストレーションだけでは、いまいち地方のお客さんに満足してもらえない。そこである時は祇園芸舞妓の踊りを入れたり、ある時は藤舎推峰(いまの名生)と藤舎呂悦の鼓をキャスティングした。
ふたりの一調一管は、舞台に緊張をもたらし、観客のドキモを抜いた。香港で40人の中国合奏団を相手に二人で立ち向かい、その迫力で圧倒的な拍手を浴びたこともあった。
その金澤でのキモノ・ショウの一調一管に、にし茶屋街のふたりの女将が触発されたのだ。
若き日の峯子さんと乃莉さんだった。
峯子さんは北陸新幹線に乗ってみたいと願っていたが、その新幹線開通の日、あの世に旅立ってしまった。
金澤にし花街の一調一管
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プロフィール

星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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