軽井沢町議会議員立候補者全員による合同演説会のコォディネーターを依頼された。
恨みを買ってあたり前、まず感謝されることのない損な役割りである。企んだのがこの町の青年会議所、俗にいうJC。比較的町のリーダー達の二世が多く、いい意味でも悪い意味でもやんちゃな明日を嘱望されている若者たちだ。
町会議員とはいえ、県下最高の収入をえて、この町のあれこれをコントロールするのだから、立候補する人々も多士済々、実力ある20年の経験者から、まだまだ青い女性たちまでいろどりのパレットは、十二分な配役である。
保守系町民党、共産党、公明党、幸福実現党、無所属と多士済々。アベノミクスの影響からか女性候補がいっきに増え、ベテランの男性議員が多く辞めたために、町の議会事務局や役場も、どうなることやらと心配している。
ところで合同演説会だが、与えられている時間は2時間しかない。22人の候補者を120分で現像するのは至難のわざだ。
テーマ別のショート・スピーチと、候補者の立ち位置をはっきりするための現町制への賛否、町の現実をどの程度ご存じかというタウン・クェッション、日曜保育や、新幹線金澤延伸によって何も変わらなかったという漫画のような話、自然を守るというお題目には、軽井沢の自然は明治中期のカラマツ700万本の植林に始まったという実話、自然は作りつづけなければならないという警告をまじえ、候補のヴィジョンから自画像までを発言してもらった。
大賀ホールの舞台に22人が、アールの形ににそろい踏みをしたところは、なかなかの情景であった。
先輩も後輩も、賢人も泡沫もひとつにして、公平に候補者の実像に迫る、実像を炙りだす、という作業は残酷で悲しい仕事であった。
残酷で悲しいコォディネーター
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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