少年時代の一時期、日曜日の楽しみはお寺にいくことだった。
お寺の日曜学校が楽しかった。脇本堂でのお参りをすますと、お寺の裏庭へいった。裏庭はとても広かったし、若い坊さんが紙芝居をしてくれた。紙芝居は少し抹香臭かったが、そのあと境内の森での遊びが楽しかった。巨木の聳える森のなかで隠れたり、登ったり、走ったり、カブトムシをとったり、自然との付き合い方の多くを学んだ。
信仰も宗派も関係なく、お寺は子供たちの楽園だった。
いつかお寺から足が遠のいた頃、お寺はお葬式で行くところ、ご先祖様の法事で通うところとなり、
子供たちは消え、お寺の日曜学校もきかなくなった。
和尚さんのことを、墓坊主と呼ぶようになった。人の死を待って、戒名をつけ、お経をあげる。戒名は一字でウン万円とかウン十万円とか、お寺さんの商売ばかりが話題になった。
善光寺の坊さんは、お軸を大量に書きまくり、販売し、恋人にいれあげたと 評判になった。
子供が生まれたら神社、結婚式は教会、そして葬式はお寺さんへと、なんだか良く判らない信仰ビジネスが流行るようになった。
「ぶっちゃけ寺」というテレビ番組が登場した。久しぶりに坊さんと庶民の距離を縮めてくれた。当然「ぶっちゃけ神社」や「ぶっちゃけ教会」も続編として登場することだろう。
斜陽テレビのプロデュース力が試される。
日曜学校から「ぶっちゃけ寺」へ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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