グローバル化の裏側

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グローバル化の裏側
 曽野綾子さんが、猛烈な批判にあっている。人種だけは、地域を分けて住む方がいい、と彼女の私見を述べているのだが、これがグローバル一辺倒の識者の琴線に触れたようだ。挙句の果てにアパルトヘイトを容認しているという故なき批判にさらされている。
 このグローバル主義者たちは、あまり現実を知らないようだ。
 例えば、マンハッタンの一部では廃屋になったアパート群がある。つい何十年まえまで白人の居住区だった。そこに人種差別問題が起き、オーナーは批判を恐れて黒人に一室を貸した。生活習慣も異なり、生活臭も全く異なる黒人の入居によって、隣の白人は出て行き、大家さんはやむなくそこに黒人家族を入れた。そのアパートはあっという間に黒人専用のアパートとなり、資産価値は下がり、あっという間にアパート自身が腐ってしまった。かくてマンハッタンの多くは黒人街となり、白人は厳重な警備に守られた超高級なアパートに住むか、郊外の居住区に移り、マンハッタンは白人の住める場所ではなくなってしまった。 これがグローバルを唱え、人種偏見をなくそうというアメリカの偽らざる現実なのだ。
 グローバルの波はパリにも押し寄せた。低所得層の黒人がどんどん街中に入り込み、ホームレスの黒人たちはあちこちの公園にテントを張って住むようになった。パリ市当局が対策に追われている間に町はどんどん汚されて行った。ショパンの像にアンダーヘアを書く、バルザックの像にもいたずら書きをする。町中が文化財
であるパリはたまらない。市民の嘆きの声に押され、前サルコジ大統領はロマや難民の強制送還に踏み切ったのだ。グローバル化はフランスの文化を壊すというのが、その理由だった。
 ヨーロッパの先進国はほとんどが、今グローバル化は失敗だったと扉を閉ざしつつある。
 区別と差別は違うという、曽野綾子の主張はそうした現実を見据えたうえでの論調だ。
 遠いアジアの片隅に住む日本人の多くは、こうした現実を知らないのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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