第九回ポップコンで審査員全員の反対を押し切って、優勝させたのは当時主催者ヤマハの社長だった川上源一と伝えられる。以来彼女のレコードには必ずDAD川上源一のクレジットが入れられている。
[] 悪女になるなら月夜はおよしよ / 素直になりすぎる / 隠しておいた言葉がほろり
/ こぼれてしまう 「行かないで」
恋愛歌の女王・ユーミン と 失恋歌の女王 中島みゆき と比較されるが、ユーミンの軽い都会的な表現に対して、中島みゆきはもう少し人間を見据えている。北の大地北海道で育ったせいかもしれない。
[] 別れはいつもついて来る / 幸せの後ろをついてくる / それが私のクセなのか
/ いつも目覚めればひとり
感情を唄いながら、決して「悲しい」とか「忘れられない」と言わない。単純な言葉を唄わず、リアルな情景をたんたんと描写することにより、人々の心をわしずかみにした。
「一回フラれても100曲書ける。100回失恋して100曲書く人もいるけど、それって効率悪いと思う。現在片思い中です。ワハハハ…」繊細にして豪胆、それが彼女の魅力なのだ。
[] 今日はこんなに悲しくて / 涙もかれ果てて / もう二度と笑顔にはなれそうもない
/ そんな時代もあったねと / いつか話せる日がくるわ / あんな時代もあったねと
/ きっと笑って話せるわ
… この後が凄い。彼女の世界観、人生観がいかんなく発揮されている。
/ まわるまわるよ 時代はまわる / 喜び悲しみくり返し / 今日は別れた恋人たちも
/ 生まれ変わってめぐりあうよ
唄が一気にスケールアップして、壮大な叙事詩に変わっていく。中島みゆきは言葉の天才であり、哲学をもった音楽家といえよう。
中島みゆきは凄い
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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