米倉よりシャーロット

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米倉よりシャーロット
 朝の連続ドラマ「マッサン」の妻役、シャーロット・ケイト・フォックスのこと。連ドラ初めての主演外人として成功したのは、彼女の異常な努力は勿論のこと、容貌そのものが日本人に受け入れやすい優しさに充ちていたということと、なによりもうるさい日本のテレビママ達の反発をかうような個性を表に出さなかったことだろう。
 全く日本語は判らなかったし、喋れなかったにもかかわらず、日本語オンリーの環境のなかで相手役や周りの雰囲気、表情を読み取る能力が抜群であったと評判が高い。
 宮沢リエの初ヌードで有名になったアメリカ・ニューメキシコのサンタフェで生まれた彼女は、サンタフェ大学で演劇ダンスを学んだ後、更にノーザンイリノイ大学で演劇を勉強した。そして憧れのニューヨーク、ステラ・アドラー・スタジオに通い、オーディションからオーディションを渡り歩いてチャンスを伺っていた。 つまりあらゆる状況に対する反応にすごく慣れていたことが日本での成功に繋がっていたのだ。すでに結婚し子供もいながら、おくびにも出さず日本での仕事をやりきった。
 一時はマッサンが終わったのち、日本に残りたいと、いって周りをハラハラさせたが、目出度く次の仕事も決まり、ホットしているという。
 がこれが如何にもブロードウエイ風な、芸能ビジネスなのだ。
 年末からミュージカル「シカゴ」の日本巡演を企画していたNYプロダクションが、日本公演に際し、主演を誰にすべきか悩んでいた。米倉涼子はすでに夏場の休暇上演でテスト済みだが、今回の公演では荷が重い。唄も踊りもそこそこだが、からだの線が固い。そこに飛び込んできたのが、シャーロットの日本成功だった。
 彼女はかって「シカゴ」の舞台にチョイ役で出たこともある。彼女ならマッサン人気をひきついで客が入る。まさに千載一遇、ショービジネスの成功に絶好のキャストが、シャーロット・ケイト・フォックスだったのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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