軽井沢はFMを止めてV-LOWマルチ放送にしたら

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 V-LOWマルチメディア放送について説明をうける機会を得た。
 無限に増えている自然災害、原発災害などに備え、従来の町内放送やコムュニティFMではカバーしきれない部分についての新しい放送サービスだ。
 がここで提供されるサービスについて考えてみると、従来の放送事業体はほとんど無用の長物になってしまう。地方ブロック向けのV=LOWマルチメディア放送に加入することによって、市町村からの直接情報、内閣、消防庁、気象庁などからの全国情報、あらゆる緊急告知がユーザーのもとにとどく。町村にある屋外拡声器はもとより、クルマ・ラジオ、緊急告知ラジオ、ケイタイなどに即座に届く。
 エリアについては市町村コード、サブエリア・コードつまり郵便番号べつに情報をわけることが可能。勿論とうぜんのごとく一般音楽放送やニュース報道も可能だし、そこに緊急告知や気象放送を出し入れするのだから、どうかんがえても地域FMの必要はなくなる。
 とくに軽井沢のごとく、利益創出企業が少なくスポンサー収入が見込めずに次々と経営母体がかわってしまう地域については、渡りに船のシステムといえる。
 地元の人々が関わってのコミュニティFMが、大都市のフアンドが乗り出して軽井沢の名義利用が目的では何の地域FMなのかわからない。総務省の認可が下りていること自体不思議である。
 総てを清算してV-LOWマルチ放送に加入することが、町の経費の節約にもなるとおもうが如何。


コメント

1件のフィードバック

  1. 大いに賛同します!
    災害時の通信はもとより、魅力を感じたのは,クリアデジタル放送です。
    大賀ホールの任意のプログラムを中継したり、各地の音楽イベント、セミナー等、コンテンツはたっぷりあるのですから、端末を普及させる条件は整っていると感じます。
    まずは、福岡の成功を期待しています。

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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