一月第二週の三連休が来ると、毎年腹立たしい。
土曜日曜の連休に、月曜を成人の日にすれば、三連休で経済が潤う。とんでもない発想をした官僚と政治家とそして審議した学者たち、大馬鹿どもがやらかした愚行がこの一月第二週の三連休だ。
元旦の大正月に対し、15日の小正月は長く陰暦で暮らしてきた大和民族のアイデンティティ、望の日であり、正月を忙しく立ち働いてきた女性たちに対するいたわりの日であった。
家族の集まる囲炉裏の間や座敷のかたすみに餅花を飾り、小豆粥をたべて家族の健康を祝った。女正月とも花正月ともいわれていろいろな行事があった。
古いお札や正月飾り、それに書初めを集めて焼くどんど焼き、かんがり、左義長などの行い、新しい嫁を迎えた婿殿を崖下の雪中に投げ落とす婿投げ、新しく嫁入りしてきた嫁殿のお尻をたたくお方ぶち、成木責め、鳥追い、小正月の訪問者など15日には多種多様の民俗行事が行われてきた。
元旦から半月がすぎ、最初の満月の夜、神が降りてきて人々を祝福するのに15日の小正月は冬の節季としてもとても好都合な一日だった。成人の日が乗ったとこまでは、祭りに参加する人々の休日になったことでそんなに悪い影響は出なかった。が、これが第二日曜についたところから、小正月の民俗行事は音を立てて崩れた。
大正月にあまりにも近すぎる。正月飾りを焚き上げるには少し早い。女正月というのにも落ち着かない。ましてや成人の日が毎年動くのでは、祝日の意味がうすく、いかにもご都合主義の感ありだ。人生にとって重い意味のある成人の式までもが、経済効果の都合で決めたというのが情けない。
もう少し民族の歴史を造ってきた風土、習俗に想いをいたさなければこの国の文化は行方不明になる。
役人、政治家、御用学者は民俗に愛情のない困った人々なのだ。
小正月を追い込んだ官僚、政治家
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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