…春の小川は さらさら行くよ 岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく 咲けよ咲けよと ささやきながら…
小正月があけると、誰いうとなく善福寺池へ遊びにいった。池の上に小さな祠があり、その傍らからんこんと清水が湧いていた。これが武蔵野台地の湧水と教えられ、そこから湧出した流れは池を満たし、下の池まで更にニ、三百メートルの清玲を経て流れ下っていた。 流れに泳ぐ水草のあいだに、水晶をみつけたことがあつた。小さな鮒も泳いでいた。春の小川はいのちの源だった。
善福寺川の思い出は神田川の唄につながる。学生時代の同棲は未経験なので゛記憶は原宿、渋谷川に飛ぶ。しもたやの軒下を流れていた川に、ある時突然に蓋がされ暗渠に変った。川に面していた民家は、ファッション・ハウスになったり、美容院に変わった。若い美容師が、厚かましくもアーティストと自らを言い出したのもあの頃だ。
どぶ川の暗渠は、原宿から渋谷への川の美しさを忘れさせ、若者たちはどぶ川の蓋のうえをを歩きながら愛を語らった。霞町を流れていた川も同じ運命を辿った。優雅に水車の周っていた川はクルマのための道になり、無機質な都市の風景に変化した。数寄屋橋のしたの川も何処かへ消えた。
皮肉にもその頃から「親水」という言葉が登場し、水と親しむというのが、流行になった。
葛飾にも杉並にも信州にも、そこいら中に親水公園ができた。
親水公園に用意された小川には春が見つからない。誰かが机上で考えた水の流れには四季はなかった。
オリンピックに浮かれた半世紀まえ、東京は大部分の自然を失ったが、今またオリンピックをまえに東京に残るわずかな自然が皆殺しになるのではないか、と憂いている。
春の小川に想う
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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