年末年始の特別番組といえば、まず大型時代劇というのが相場だった。
「忠臣蔵」「白虎隊」など、お金もかけた時代劇というのがテレビのお決まりだったような気がする。それがいつの間にかすっかり鳴りを潜めてしまった。視聴者も年の瀬や正月に時代劇がなければテレビじゃないと、考える視聴層はいなくなってしまった。ついこの間まで、「三匹の侍」やら「必殺仕事人」に興奮していた視聴者は何処へ行ってしまったのだろう。
テレビの時代劇は古臭い、老人の見るものと堕落させた犯人は誰だったのだろう。
時代劇の金字塔「水戸黄門」は家族を対象に最も適切な素材としてスポンサードしたのは、ナショナルの松下幸之助だった。その威光を笠に逸見稔というナショナルの広告窓口が、いつしか制作会社、代理店、テレビ局をコントロールして、水戸黄門の時代を作りあげた。
タイトルの始めに登場する作者の「葉村彰子」は架空の作者であり、すべては逸見の都合が仕組んだこと。
本物の作者たちはヘンミ・タイプライターと影で噂された。
かげろうお銀の入浴シーン、うっかり八兵衛の茶店名物へのずっこけ、印籠を取り出すクライマックス…すべてはパターン化した勧善超悪のマーケティング時代劇だった。
都合のいい手抜きで視聴者とりわけ若い視聴者は離れ、古臭い予定調和の時代劇が、批判能力のない高齢者向けの月曜8時の時間にしてしまった。
予算をもっているスポンサーが、逃げ出すのにそんなに時間はかからなかった。金のかかる時代劇よりは、安上がりのミステリーやバラエティで充分というのが、テレビを取り巻く環境だった。
かくてあれほど隆盛を極めた時代劇は、記憶の彼方にいってしまった。
テレビから時代劇が消えた
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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