青春時代「新聞よむなら朝日」が当たり前だった。なぜなら朝日は日本の知性だから、大学入試は必ず朝日から出題されるから、と教師はいった。
勉強するなら岩波文庫、なぜ岩波と質問すると、必ず大学の先生が執筆しているからという答えだった。
偉い先生と岩波と朝日が結託して、知性主義のバリアをつくってきた。先生方は岩波に頼り、朝日は岩波と東大学者人に頼った。いわゆるインテリ層の核をつくったのが、朝日岩波文化人だった。
一方で知識の民主化、教養の平準化が着々と進んでいた。敗戦国日本に対し、マツカーサーの仕掛けた時限爆弾がじりじりと効いてきたのだ。
サッカー、野球、を先頭にマラソンにいたる異常なスポーツ・ブームは、知性を麻痺させるに絶好の手段だし、それにセックスを加味することによって、植民地政策思うがままの日本人が出来上がる。
アメリカにとってはこんなに好都合なことはない。
こうした文化の民主化は当然のごとく、朝日岩波文化人の否定に向かう。
文化の階層性をなくし、フラットになったその果てに、AKBやらアナ雪やらディズニー、USJのアメリカンな人間が誕生しているのだ。
すでに岩波文化は瓦解し、その主導権を本屋の店員に渡してしまった。無能な知識層は「くっちゃべってばかりの役立たずの学者文化人」と橋本徹大阪市長にこき下ろされ顔色なしだ。
それらの仕上げに登場したのが、朝日の従軍慰安婦、原発吉田調書問題…朝日を頂点としてきた岩波知識層は、国を売るとんでもない奴ということになった。
朝日に跋扈する上から目線の教養主義や権威主義ではない、民族のアイデンティティをみつめた新しい文芸復興こそ、この国の生きる道ではないだろうか。
朝日・岩波知識層の崩壊
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す