埼玉の奥、日高の曼珠沙華の里にいってきた。
高麗の駅を降りると、巨大な天下大将軍と地下女将軍に迎えられた。
曼珠沙華の里は高麗川の流れに沿って、500万本の花が咲く巾着のかたちの里である。
お彼岸の頃になると田の畦道やお墓の片隅に赤い花が咲く。
サンスクリット語で、天上で咲く花を曼珠沙華というらしい。
お目出いことの起きる前兆に、ときに天から降ってくる華を曼珠沙華とよぶ。この日高には500万本の赤い花が降ってくる。天からみると川の蛇行が厳しく、巾着のかたちに畑がなっているので「巾着田の彼岸花」と呼ばれてきた。
中央の広場には、突然のマーケットがあった。伝統の埼玉うどん、定番の焼きそば、お隣り群馬の焼き饅
名古屋の天むす、いろいろなB級グルメが店を連ねて商売に励んでいる。花の咲いたこの時期だけの商売だから、この次は、いずこの花や、祭かなである。
この花には毒があり、稲を荒らすねずみや、もぐらが、その毒を嫌って寄り付かないので、古来畦道に植えたとも言われている。
彼岸花と云う名もこの花をたべたら彼岸へいかなければならないというところから、付いたそうだ。
地獄花、剃刀花、死人花、狐花、捨子花、相思花、おどろおどろしい異名別名がつづくが、花の立場になるとすこしばかり可哀そうな気がしないでもない。 花言葉には再会やあきらめもある。
曼珠沙華・彼岸花・死人花・相思花
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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