敵の見えない電話で始まる戦争

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 警戒警報がなる。敵の飛行編隊が爆撃のため本土に向かったから、準備をせよ、ということだ。
 空襲警報がなる。鉄兜を背に、僅かばかりの乾パンと煎り米をバツクに詰めて、防空壕に駆け込む。
 庭の片隅に掘られた畳二枚ほどの防空壕に命を預ける。直撃弾をくらったら全く役立たずだが、隣家に落ちた爆弾の破片からは身を守れる。
 やがて世界は爆撃機の轟音だけになり、そのなかを空気を裂いて爆弾が落ちてくる。耳もつぶれんばかりの爆発音が次々と防空壕をふるわし、家のガラス戸を破った。近所に中島飛行機の工場があるから、巻き添えをくっても仕方ないとあきらめていた。
 …B29の編隊は頭上を通り抜け、無差別に1トン爆弾を落としていった。
 いきなり知らない奴から電話が掛ってきて、「いまからミサイル攻撃をするから、その家から出て行け」
ガサ地区に住む人々はかってない戦争を味わっている。敵の姿が見えない。遠くから突然飛んでくるミサイルで、家を破壊され、手足を失う。
 携帯のショートメールや、電話で事前に退避をうながし、しかるのちの攻撃だから、イスラエルはガサに対し、人道的攻撃を行っている、と主張している。
 ガサの人たちには戦争の相手は全く見えない。無人攻撃機ドローンの飛行音だけが、1日中不気味に響き、
電話の不気味な破壊予告、そして突然に飛んでくるミサイル、……その病院にはテロリストがいるから破壊する、と言われても判断のしようがない。間もなくミサイルは病院にとんでくる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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