やはり北海道は美味い

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 北海道からの宅急便が着いた。
 開けて驚いた。ふるさと納税のお返しのごとく、北の大地の品々が次々と出てきた。
 彼女からはジャガイモを送るという電話だった。充分嬉しいが家族が少ないので量は少なくして欲しい、とお願いした。折角の贈り物を腐らしてしまってはもったいないし、なによりも御好意が無駄になりかねない。 彼女は札幌に別荘を持ち、3匹の子犬を連れていつもの夏を北海道で過ごしている高輪のセレブだ。
 まず主役の馬鈴しょだが、JA南るもい産「インカのめざめ」とJAいわみざわ産「男爵」、学生時代初めてのひとり旅は北海道だつたが、あの時ホテルで朝食にでたじゃがいも・まるごとにバターを付けて食べた印象がいまだに忘れられない。戦後のなにもない時代の北海道のじゃがいもは、黄金のレシピだった。じゃがいもを抱えて旅はできないので、せめて町村バターを求めて旅を続けた。
 くるるの杜の「ユメピリカ」も出てきた。「こしひかり」よさようなら、こんにちは「ユメピリカ」、のあのユメピリカだ。この処、にほんの米の王座は「ユメピリカ」に独占されている。玄関開けたら2分のさとうのご飯ですら、ユメピリカは圧倒的に美味い。事務所での簡単ランチベストは、鳥取缶詰の業務用ビーフカレーとさとうのご飯ユメピリカと決まっている。
 JAふらののコーンポタージュ、かぼちゃポタージュ、白い根菜ポタージュ等々、JAびえいのソフトコーン、焼きとうもろこしと豊かな北の大地の恵みがぎっしりと詰まっていた。
 豪雨や土石流の不愉快なニュースのなかで、やはり自然は素晴らしいと感謝の宅急便だった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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