お誘いを受けて、新橋芸者の若手のお座敷芸に触れてきた。
新橋二大料亭のひとつ、金田中の若旦那、岡副真吾さんの肝いりで続いている「なでしこの踊り」最終回。
少し前についたのだが、もうお客さん方は縁高のお弁当を楽しんでいた。
吉兆の女将さんやら、金田中の若女将に、松竹の社長も混ざって、最終回の賑やかを演出している。
まず始めに岡副さんの新橋談義、ご維新の頃の薩長の田舎者話から、銀座から新橋にかけての稽古事のお師匠さんたちの金春通り、八丁目に新橋検番がのある理由もなんとはなしに納得し、柳橋にたいする当時の新橋のポジションも面白く、さすが新橋花街の若手経営者いちばんと聞き惚れた。
さて芸者衆の踊りとなった。さより、千代加、千代奈、におばさんの喜美弥が加わっての若手の踊りであった。俗曲や小唄、端唄を中心にした粋で軽い曲が中心、新橋花街は祇園の井上流のごとく、ひとつの流儀ではなく、花柳流、西川流、尾上流など入り乱れているので、どうしても間口が広がって印象が散漫になるが、江戸っ子の遊びには丁度いい。 江戸風なかるい粋が生きている。
後はお決まりのトラ拳となったが、会える予定の「くに龍」に会えなかったのが残念だつた。可憐だつた祇園の舞妓が、新橋の名妓となつたイマに会いたかった。 とら、とーら、とーら、とら ……
新橋芸者と遊ぶ… とーら、とら
コメント
1件のフィードバック
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岡副さんご夫妻も
星野先生もお元気そうで何よりです。
銀座の写真展に行きそびれてしまって
後悔しております。
いつも楽しく拝見しております。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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