田町駅から南へ1300メートル、品川駅から北へ900メートルの場所に、新しい駅が作られることになった。JR山の手線にとっては半世紀ぶりのことだ。町のかたちがだいぶ変わったとはいえ、まだまだ電車信仰は根強い。駅が出来れば駅前が出来、そこに駅前商店街ができて、街は繁栄すると思い込んでいる人がまだまだ多くいる。
JR東海は2020年の開業を目指し、「新駅とまちが一体となった象徴的空間をつくる」といっている。イメージ図でも巨大な屋根のしたに緑あふれる開放的な駅舎がある。入口の二階部分には人の往来する広場、一階にはバスや自動車のターミナル、そしてそれらを繋ぐ巨大な商業施設、国や東京都ではこのあたりを「サウスゲート」と定義し、東京と日本に相応しい玄関口として都市再開発のモデル事業に指定している。
この辺りに日々の暮らしをおくってきたひとたちには、まず恩恵はない。商業的利益は90パーセントが新駅に持っていかれる。素晴らしい駅が出来ると、周辺には資本力のある不動産業が進出し、庶民の暮らせる空間はなくなるのだ。残酷な言い方をすれば、出来るまでは祝賀行事やらなにやらに乗せられ、完成とともに追い出されるのが地域住民の宿命と考えるべきだろう。
いま駅名の争奪戦が盛り上がっている。地番は港区港南だから「港南」が自然だとする原則主義者。いや近くに慶應義塾があるのだから「三田」がいいというケーオー信者。すでに署名活動を展開しているセレブな「高輪」派。新しがりの何でも英語派は「東京サウスゲート」。折衷大好きは、品川と田町の間だから「品田」駅と、周辺部活性化を目指した皮算用が集まっている。
山手線新駅に集まっている皮算用
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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