海軍指定第一慰安所・開店第一日

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 開店第一日、切符売場のお父さんたちは忙しそうです。兵隊さんは赤札で2圓、下士官は青札で2圓50銭です。切符売り場には、私たちの番号つきの名札が並べて掛けてあります。兵隊さんは女の顔を見たこともないのですから、名前で判断するほかなく、どんな相手にあたるかさっぱりわかりません。
「この子はどんな子なの?」「この子は若いの?」お父さんはみんなを引き立てるように、いろいろいいところを並べております。札を買うと、それに選んだ女の番号を打って、それにサック一個とちり紙10枚を添えて渡します。それをもって、部屋の前にいって並んで待っているのです。
 いままで日本の女はいなかつたのですから、大変な人気でした。なにしろ女の数は少なく兵隊さんたちは大勢なので、充分サービスはできません。切符一枚で30分ということになっているのですが、そんなに長くかかる人はありません。入って出るまで5分間とかからない方もあります。兵隊さんは長いこと女に接していないものですから、すぐに満足してしまいます。女の體にさわつただけでもう満足してしまう方もあります。あまりに可哀想なので、何とかしてあげたいと思いますが、サックは一枚の札に一つしかついていません。サック無しでサービスしては、遊ぶ人も遊ばせる人も罪になります。そういう人は「返り遊び」といって一度外へ出て、もう一度切符を買って、改めて部屋に並んで順番を待つのです。
 切符売場で一人で二枚も三枚も買おうとする人もあります。「おひとり一枚ですよ」「好きな相手に上げるのだからいいだろう」「いいえ、私たちは皇軍慰問ですから、なるべく大勢の兵隊さんを慰めてあげたいのです…」
 放送局から慰安所で遊ぶ時の注意を放送してくれたこともあります。「特殊看護婦はわれわれ兵隊を慰めるべく遠く前線まで来てくれた人たちで、私たちのまわりには日本の婦人は少ないのですから、いたわりの温かい心で接しましょう。…インドネシアやオランダの人たちに恥ずかしくないよう、軍人らしく行動しましょう。また特殊看護婦の人たちも、心から分け隔てなく兵隊たちを慰めてください。」
 「君たちは僕たちと同じく兵隊だよ。戦友だよ。僕は戦死の瞬間君たちを思い出すよ」と感激して下さったかたも大勢いました。
 戦争慰安婦の問題がかしましい今、この鳴海さださんの手記をあえて採録し、戦争の実態を考えてみたい。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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