ラウンド・アバウトの景観と美意識

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 ラウンド・アバウトと呼ばれている交差点がある。何本かの道路が交差している辻を、円形に交差をなくして道を通した工夫である。
 軽井沢にも六本辻とよばれていた所が、遊園地のような回り道に生まれ変わった。周辺の私有地には手をつけず、既存の交差点のなかをいじりまわすのだから、狭いことこの上ない。僅か一車線で回るのだから、そこを通る車は皆一時停車して考えている。
 なんのことはない。みんなの知恵で譲り合って走っていた交差点が、渋滞ポイントに変わった。町の都市計画に関わっている先生方のアイディアらしいが、バカも休み休み…といいたい。
 ラウンドアバウト、そもそもはフランスに生まれ、イギリスに輸入されて広まった環状交差点だが、パリのシャルル・ドゴール広場のラウンドアバウトをみれば、さすがの設計思想に納得する。なにしろ12本の道が集まっている環状路に一斉に車が雪崩れ込み、信号ひとつないのに粛々と走り去っていく。10車線以上の車が自然合流し、自然分岐していくさまはけだし壮観といえる。ナポレオンの凱旋門をなかに、ラウンドアバウトの威力をまざまざと見せてくれる。
 フランスの田舎になどいくと、まま集落の入口でラウンドアバウトに出会う。真ん中の島にはその地を造った恩人やそこから生まれた芸術家などの銅像がたっていて、その町のアイデンティティーにもなっている。
 パリ・ロンポアンの如く、四季それぞれの花が咲き乱れるラウンド・アバウトも美しく楽しい。
 ラウンド・アバウトは交通整理のためにだけ存在しているのではない。


コメント

1件のフィードバック

  1. ラウンド・アバウトは実験というか?
    雲場池に行く、ばか観光バスが六本辻に停車するのを
    防止したい、ばか大人が考えたプランに、
    ばかプランナーが、野沢源次郎が、1915年にパリの凱旋門を模した六本辻が、別荘地内部の私道として開発されて100年とかなんとか、理由を付けたと推測されます。
    実験の結果は出たので、来年からは雲馬池を有料化(年間パス¥1000・一日券¥500)して、野次馬観光客を減らして、ばかバスを排除して、けじめに開発100年祭りをして、元に戻すっていうのが程よい終わり方だと思ってます。
    野沢源次郎と六本辻
    http://www.iatss.or.jp/common/pdf/publication/iatss-review/39-1-04.pdf
    ラウンド・アバウト実験結果!
    http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/roundabout/pdf01/4.pdf

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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