愚かな文科省の「英語で会議」

by

in

 グローバルの時代だから、英語で会議をしよう。
 文部科学省の幹部会議での出来事、その上英語の社内公用語化に携わった民間人を雇い入れ、英語会議を担当させるという。出席者は全員日本人で、日本の教育の根幹に関わる会議を英語でやろうというのだから、文科省には英語のスパイが潜んでいるに違いない。
 昔、日教組には赤がいると騒いだことがあったが、いまは文科省にアメリカがいる。頼まれもしないのに、日本語を放棄し、赤ん坊のときから文部官僚に至るまで英語を使わせる陰謀を張り巡らし、なんとか英語圏の属国にしようと企んでいる。日本はもう充分に植民地だが、さらにアメリカの植民地にすることを企んでいる。
 その国のアイデンティティは言語にあり歴史にあることはもちろんだが、日本語という固有の言語を棄ててまでアメリカナイズしたい勢力が文科省に巣食っている。英語ができたら、尊敬されるのだろうか、とんでもないことで、英語ができても国家は成長しない。帝政ロシアでは、宮廷語としてフランス語を使用していたが、決して尊敬されなかった。ロシアが尊敬をあつめたのは、トルストイやドストエフスキーがいたからだ。
 藤原正彦氏は「小学生から英語を教えることは、日本を滅ぼすもっとも確実な方法です」といい、「公立の小学校で、英語など教え始めたら日本から国際人がいなくなります。国際的に通用する人間になるにはまず日本語を徹底的にかためなければダメです。」と言っているが、尊敬される日本と日本人になるために、まず文科省のスパイを追放しなければならない。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ