郡司正勝という歌舞伎研究家にして日本芸能史の権威がいた。その郡司先生が晩年、習い事をしていたのが、日本舞踊市山流であった。
京都祇園の井上流に対し、新潟古町の花街を出目とする舞踊が市山流である。江戸、大阪といつた大都市ではなく、地方の花街を背景に出てきた流儀として貴重な存在だと言われている。
20年前、SKD松竹歌劇団で朝鮮に伝わる貞女沈清傳をミュージカル化したことがあった。その時主役沈清に抜擢した少女・千景みつる、多分あの頃は20歳そこそこだったような気がする。その少女が20年経って、この度市山流のお名前をいただき、お披露目することになりました、とご挨拶をいただいた。
調べてみると、同じ市山流でも東京市山流、越後獅子を振り付けた流祖をもち、歌舞伎との関わりが深い流儀だ。
歌劇の仲間たちは、先輩も同輩も後輩もみな彼女のお披露目にかけつけていた。絶滅危惧種のような優しさと長幼の序を持っている極めて貴重な人々だ。先生と呼び止められても、ハテと判らない。かってやんちゃな少女だった生徒が粋にキモノを着こなしていては、判る筈がない。本当に女性は化ものだ。
ところで娘三番叟だが、一天四海を清めるところまでにはいかなかったが、全く年齢を感じさせない可憐な姿で名取披露に相応しい舞台だった。
雀百まで頑張ってほしい。次回はぜひ市山流ならではの演目を期待している。
初々しい娘三番叟
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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