ディズニーランドが無かった頃、夏休みの下町の楽しみは、浴衣をきて宵宮の夜店に行くことだった。参道の幟がみえるころには、神楽殿の囃しが聞こえてきて何故か気分が高揚した。参道にはゴムの電気コードが、木から木に渡されて所々フタマタ・ソケットやミツマタ・ソケットで分岐され裸電球に繋がれていた。
夜店の不思議の第一は「綿菓子」だった。何も見えない丸いドラムから次々にファンタジックな綿のお菓子が生まれる。オジサンはだみ声でブツブツ言いながら一本の割りばしを回しているだけ。何か仕掛けがあるのだろうと下を見れば、オルガンのペタルのようなものを踏み続けている。多分いまでは電気仕掛に変わったと思うが、あの頃は足ふみ式綿菓子器だった。
後年綿菓子ひとつ作るのに、ザラメ5円と割りばし一本5円で計10円の原価と知ったが、綿菓子は夜店の初心者でも出来る利益率第一の商売らしい。それにしても綿菓子は不思議の仕掛けだった。あらかた空気を食べているようなものだったが、甘い糸のような食べ物は現実には存在しない夏祭りの宵のマジックだった。
もう一つ、どうしてもやりたい夜店が「金魚すくい」だった。小さな和金ばかりが泳いでいる店よりは、どうしても出目金やら大型の金魚の泳いでいる店にこころ惹かれる。大きければ直ぐにポイが破れてしまうのは当たり前だが、そこは子供の悲しさ、その理屈を考えることなく大きい金魚に惹かれる。薄い6号とか7号のポイはたちまちに破けてしまう。
業者の間で、「紙破り」と呼ばれている立派な「姉」金などにこだわったら、たちまちにポイは破られ敗北感にとらわれる。
帰り道、ようやくすくった一匹の小さな和金は、子供心の勝利の印だった。
綿菓子と金魚すくい
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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