長野に祇園祭が返ってきた。喜ばしい。
立派な奉納芸屋台をいくつも持ちながら、善光寺の風下に安住して、祭のカロリーを失っていた。
善光寺の御開帳に合わせた屋台巡行でなんとかごまかしてきたが、弥栄神社の衰運はなんともしがたく、長野の祇園祭が、善光寺次第というのでは本末転倒もはなはだしい。
イベントの波に乗って三年前から復活した屋台巡行だが、今年は権堂の長唄「菖蒲ゆかた」、新田町の「俄獅子」、問御所は「岸のやなぎ」、元善町の「藤娘」、大門の「風流船揃」、そして北石堂の置き屋台と、邦舞と囃子方はそれぞれに懸命に舞い、演奏していた。
晴れの奉納芸のために頑張ることで、芸道伝承にもなるのだから貴重なお祭りだ。
配られたプログラムを開くと今時のオトメ☆コーポレーションやら、下品なお笑いの原口あきまさだの、三四六ばかりが目立ち、肝心の立方についての紹介はなにもない。祭りの中軸を担う人々の紹介がなくて、金銭ずくのタレントばかりを有難がっていてはメディアに毒された祭りといわれても弁明できないだろう。
折角に盛り上がってきた市民の意識にたいし、弥栄神社の対応にも疑問符がつく。長野らしい蘇民将来もなければ、お札ひとつ欲しくなるデザインのものがない。祇園信仰をこの町にさらに広げていこうという志がないのではなかろうか。神社の場所が悪く狭かったら、セントラル・スクェアなり、トイーゴあたりに御旅所を設けたらいいだろう。
祇園祭を市民のものにするには、より信仰へのエネルギーが必要なのだ。
ながのに祇園祭が帰ってきた
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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