従軍慰安婦で散々、日本に毒ずいてきた韓国の朴槿恵大統領が、少々困っている。
朝鮮戦争当時、米軍慰安婦として狩り出された122人の韓国女性が゜、政府を相手取って国家賠償訴訟に踏み切ったのだ。
「歴史と向き合わない国に未来はない」とアメリカに告げ口し、中国でも習近平に同調を求め、世界中に従軍慰安婦像を造らんと企んできた。
ところがお膝元から私たちはどうして呉れると、米軍従軍慰安婦経験者が名乗り出た。
歴史上、戦争と慰安婦の問題は必ず付きまとってきた問題で、犠牲になった女性たちには申し訳ないことながら、人間の業というべきか、性としてそうした施設が常に前線に設置されてきた。
日本の南進後も各地に存在したのは事実だと思うし、アメリカ軍の日本占領にともなって、各地に造られた
特殊慰安施設についても、アメリカ軍と日本側の特別調達庁が計らって兵隊たちの性の問題を処理してきた。
ただ大人たちの阿吽の呼吸によって永らく触れられずにきたのだが、頭の弱いパククネという女性大統領に
よってパンドラの箱が開けられてしまった。
この問題は日本だけが責められる問題ではなく、アメリカもイギリスも韓国も中国もみな経験してきた古くて新しい問題、戦争の歴史に必ずついてきた裏面史なのだ。
問題は、倫理や哲学として人間の性をどう考えるか、ということなのだが、大声で女権回復と騒いでもなにも解決しない。哲学として人間を考えることの出来ない浅はかな騒ぎで終わってしまう。
「私たちは韓国のために身体を打ってドルを稼いだ」との声に、朴槿恵はホホかぶりをするのだろうか。
古くて新しい従軍慰安婦問題
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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