新国立劇場でのオペラ「おしち」以来の東京だつたので果たして来てくれるだろうか、と少々不安だった。
梅雨時の真ん中で、いつドカ雨が来るか判らない。銀座4丁目という絶好の場所に新しく出来たギャラリーだったが、オープニング間もない初使いだったので、ピクチュア・リール、ワイヤー、フックそして映像スクリーンからプロジェクターまで負担をかけてしまった。荻野社長と石川桂子室長には大感謝である。
軽井沢ですべてのプリント・アウトをした後、吉良上野介邸の跡地にあるフレームマンの工房に送って後処理からフレーム制作、飾りつけまで世話になった。
受付はアルマーニで仕事をしていた米山美佳さんが冷静沈着に進めてくれた。
さて700人近く来て下さったお客さんも多士済々、遠くはラスベガス、ソルトレーク、ニューユーク、北海道北見、札幌、姫路、京都、駒ケ根、長野、横須賀、そして軽井沢と嬉しい限りだった。
共にオペラを創った仲間、ファッション・ショーで日本と世界を周った昔美人、ロンドンのヘネキー・ロングバー以来の友人、テレビ創世記の同期のさくら、IFAの妊娠した教え子、SKD時代のスター、この国を代表するヘアデザイナーの皆さん、ジュン・アシダのスタッフの皆さん、谷口愛子美容室のお客様、名和を継承する黒田茂子さん、フェリス以来の中田夫人、藤田さん、松井今朝子さん、ギャラリー桜の木の皆さん、石寺ファミリー、ファリーダ・グループ、山口路子さん、いのうえまきさん、表千家社中、永楽さん姉妹、祇園の華の人・祇園をヤメタ人、お茶屋の人、井上流、吾妻流、尾上流、花柳流、梅津流、市川流各流のお家元と舞踊家の皆様、故團十郎夫人と秀調さん夫妻、尊敬する芸術家池田竜雄、橋本潔さん、そしてなによりも軽井沢の友人たち…
黙って見て帰る人、批評する人、尋ねる人、技術にこだわる人、コピーに共感してくれる人、パリに思い出の人、これからパリへ行く人、朝日新聞を見て来てくれた人、それぞれの経験と視点で写真に対峙してくれたのが、なによりの喜びだった。
銀座の写真展8日間のメモリー
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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